街から山へ行くということは、どこかに原始性を求める部分があるはずだし、意識の表面には現れずとも、便利さの対極にあるものへの憧れが秘められているに違いない。だとすれば、山は《不便》な方がいい。時代は自然ブームであり秘境ブームだという。しかし、その裏で日本の山は確実に秘境を喪い、原始性を剥奪されている。道無く、情報無く、規制も無い原始の香る山。そこには人間がより人間らしく生きるために不可欠な自由で、美しくも厳しい輝きが満ちている。時に荒ぶる自然と渡り合う山登りには〈自己責任による自己決定〉という至極当然な、しかし、忌むべき訴訟社会で常に自己弁護と保身に狃らされた身には得がたい歓びが在る。そうした世界に浸る歓び、それこそ山登りの精髄だと私は信じている。今こそ原始の香る山へ。
1945年生れ。新潟県栃尾市生れ。高校生の頃より本格的に山登りを始め、岩登り、沢登り、雪山、アイスクライミング、山菜採り、キノコ狩りと活動はオールラウンドに及ぶ。本職はシダの系統分類を専攻する研究者。主な著書に『多摩川水流紀行』『秘境の山旅』(白山書房)、『山の用語なんでも事典』(山と溪谷社)、『日本登山大系』(全10巻、白水社、共著)などがある。
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